いきなり、月夜から連絡があった。
 あの日から一週間。学校にも行かずに夜までみっちりと教官にやられた和弥はその日、
学校に顔を出すつもりだったのを変更して月夜に言われた喫茶店に向かった。今日やっと、
一通りの教官の絞りが終ったのだ。
 月夜から連絡があるときは大概、相当切羽詰ったときかろくでもないことを押し付けら
れるかの二つだが、この状況からして前者であろうと判断できた。
 雨は、一週間前に一度止み、それから二日に一回ぐらいの周期でやんだり降ったりをし
ている。
「藺藤」
 すでについていたらしい、どこかで見覚えがある少しやせた鋭い顔に声をかけるとやつ
れた顔で薄く笑って見せられた。
「悪いな、いきなり呼び出して」
「いや、てか、なんかあったんだろ?」
「ああ」
 青白い顔ではっきり言う月夜に、ひどい事になっているらしいと予測をつけるととりあ
えず喫茶店に入って一息ついた。
「一杯おごってくんねえか?」
「何を?」
「珈琲でいい」
「わかった」
 ウェイトレスを呼んで珈琲二つ頼むと月夜が深く溜め息をついた。
「相当な事になってんな?」
「ああ。もう隠す気力もないんだ」
「そうかよ、で、この雨は?」
「俺達がらみ。話すか?」
「いんや、教官さんだっけか、あの人にいろいろ教えてもらった」
 教官という言葉に月夜は顔を引きつらせてというよりは強張らせて目を泳がせた。様子
がおかしい。いつもならば、そんな些細な感情の変化を読み取らせないのにと思って月夜
を観察して溜め息をついた。
「相当余裕ないんだな」
「ああ」
 苦笑して肩をすくめてうつむいた彼に憔悴しきっているのを感じた。
「そういえば、姐さんは?」
 聞くと月夜は微笑を浮かべた。どうやら最悪の事態はなかったようだ。その表情に溜め
息をついて月夜の目を見た。
「大丈夫。あの後、どっちかって言ったら俺のほうが大変だった。あいつに殺しかけられ
れるわ、変な能力目覚めるわ、なんわで」
「変な能力?」
「ああ。未来視、つまり、未来予知とか、あとは神様降臨するし」
「は?」
「は? はこっちなんだよ。この一ヶ月? それぐらいでいろんなことが起こりすぎて…
…」
「へえ。んで、どんな神様よ?」
 その問に月夜は真っ暗で雨に打たれている窓にちらりと目を向けて溜め息をついた。
「狐の神様。最上位である、空狐と呼ばれる存在が俺に降臨しなすった」
「へえ、それってよかったのか?」
「冗談じゃない。体調悪いのにそんなことされたから体がもたないっつーの」
 テーブルに頬杖をついて愚痴っている月夜を見て珍しいなと頷いた。
「で、神様の言葉は?」
「古の昔に封じられし黄泉の軍勢。この長雨の所以。愚かな天狐の子は今、現世におる。
我ならば止められるかも知れぬ。現世は、今、陰の雨が降っておる。まもなく闇に生きる
ものどもが、跳梁跋扈するだろう。さすれば、この葦原中洲国は滅亡ぞ。だと」
 どうも人事のような感じなのは努めてらしい。そうでもしないと受け入れられないのだ
ろう。
「てことは、昔々に封じられた黄泉の軍勢がこのままだとこの世に出てくるって事だよな?」
「ああ」
「教官さんとかが言ってた事と一致するな」
「は?」
「ああ、いや、この雨の気に当てられたらしくて、気絶しちまったんだ。そうだな、一週
間ぐらい前だな。いろいろ仕込まれた」
「なんだよ、その仕込まれたって」
 嫌な予感に顔を引きつらせると感覚が狂ってしまったらしい。陰気にふふふと笑いなが
ら一人でぶつぶつと呟いている。
「はじめに……」
「あ、どうぞ」
 何か呟き始めた和弥に不思議そうな顔をして、珈琲を持ってきた軽く引き気味のウェイ
トレスに軽く会釈をして珈琲を置いてもらって下がってもらった。
「大丈夫じゃねえな。まさかと思うが、五行の一から十までその数日間で?」
「数日間じゃねえ、一日で叩き込まれ、それから後の六日は、応用を体に教え込まれて…
…。何なんだよあの教官」
 予想をはるかに超えた事に顔を引きつらせて言葉を失って、目を潤ませて力説するよう
に両手に拳を握っている和弥の肩に手を置いた。
「燃え尽きたな」
「ああ、燃え尽きたさ。だから、いま、こんな顔色なんだろ?」
 不思議な学生が二人。二人で同時に噴き出すと珈琲に口をつけて溜め息をついた。
「ありえないな」
「だろ? 言ってる意味がやっとわかっただろ?」
「ああ」
「他の武勇としては、会の上連中、つまり幹部連中を反省させに行ったとか」
「なんじゃそれ」
 一から説明するのは面倒だと思って所々端折って言うと驚いて何もいえないようだった。
「あと、教官だから、先生なわけじゃん。怒るときはこっちじゃしばくって言ってるぐら
しだし」
「しばくって」
「詳しい事は夕香に聞くといい。それか、嵐だな。真の恐ろしさを知っているのは嵐のほ
うだろうし」
 心なしか蒼くなって言う月夜に和弥は何度も頷いた。もう聞かなくてもいい。今度、会
ったとき可笑しくなりそうだ。
「大丈夫か?」
 真っ青だったのだろうか、月夜が困った顔で珈琲をすすっていた。和弥も珈琲をすすっ
て頷くと溜め息をついた。
「溜め息しか出ないよな」
「ああ」
 と、その後はくだらない事を話して沈んだ気持ちを立たせて別れた。月夜はその後、夕
香と合流して、いくらか軽くなった気持ちで懐剣を手にした。
 
 
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